教育とは

Newsweek日本版から
【<入試の公平性や教育の格差は大問題になるのに、一斉休校で教育の機会が失われることには異論を唱えない。日本は終わった>
日本はもう終わりだ。
コロナウイルスによって終わったのではなく、終わっていたことがコロナウイルスによって明らかになったのだ。
(中略) 
ここで本当に大事なのは、一斉休校によって子供たちの教育がおろそかになることだ。
卒業や単位、進学について問題が生じないようにすると官邸は言う。そんなことは二の次だ。重要なのは、教育そのものがおろそかになることだ。
授業がなくなる。
学校教育で最重要なのは授業だ。
その授業がなくなって 子供たちが学ぶ機会が減る。それについての批判が全くない。
親たちや、町を歩く人々も、卒業式ができなくて可愛そう、友達とこのまま離れ離れになるなんて、と同情する。
そんな情緒的なことはどうでもいいのだ。 】

 これは正論ですね。それだけ私たち日本人は学校教育を知らず、軽んじているという証拠でしょうか。情緒的対応よりも本質的・基本的・戦略的対応を!という指摘に耳を傾けましょう。

 すでにマスコミによってパンデミックであるかのような印象操作が、ヒステリックに行われています。中には今回のコロナを「殺人ウィルス」等と書いてあるものも。



 そうして
 「トイレットペーパーが無くなるかも」とSNSで発信されると、うちのMさんも「デマだと思いつつ、でもお客さんが来たときに無かったら困るから」と、ドラッグストアに買いに走ったと。それが28日のことで、ニュースでも広く「在庫もあるし国産だから大丈夫だ」と発信されているのに、昨3月1日でもこのあたりドラッグストアで行列して買う人がいるという状態です。
 大地震や風水害があって田舎で水やカップラーメンやマスクやトイレットペーパーなどモノがなくなるのは大体「都会に出ている子ども達や親戚が、モノが無くて困るから品物を送る」ために、という理由があります。

 良かれという思い、情緒が混乱を深めるという事実に目を向けましょう。釈尊が「正しくものごとを聞き、見て、判断することが大事」と仰ったのは本質を見よということに他なりません。良かれという愛=執着が善人を見誤らせ、行動させることが往々にしてあるのだと。
 デマに踊らされることは誰にでも起こりうること。今回のコロナ騒動で「ピンチをチャンスに」という言葉が出ていますが、今私たちが学んでいることは「良かれと思うが故にデマを振りまく者に利用される。愛は諸刃の剣になる」ということではないでしょうか。

 教育とはそういう観察眼を養うことでもあります。知識だけではありません。
 

2020/3/2