2021 小論文 4名の応募がありました。

「出会いと気づき」
                                       昭和学園高等学校  S.A

 「出会いと気づき」この言葉は私が、小・中学校のときには考えたことがない言葉だ。なぜなら出会いと気づきがなかったからだ。
 私の中学時代は、周りに四人と少ないながら、楽しく過ごせる友だちがいた。小学校からの友達や保育園にいたときからの友達もいた。お互いがお互いのことを良く知り、いい意味で何も気を使う必要のない空間にいた。だから、何でも話し合えば解決できたし、いじめなんて起きたことなどなかった。
 中学三年のとき、校外活動に初めて参加した。そこで、他校の中学生と長い時間話しあったり、一緒に行動したりした。その時まで他校の人と話したことがなかった。だから「きつい。」「人と話すのはこんなに緊張するの?」「怖いな…。」と、初めて出会った人とコミュニケーションをとることは、マイナスのことしかないのではないかと感じた。その感情は、高校生になってあるきっかけによってプラスの感情へと変わった。
 中学卒業後、高校に入学してから、今までに体験したことのないほどのたくさんの人に出会った。しかし、私のクラスは少人数のクラスのため、中学生のときと同じ感じで正直ホッとした。それは人との出会いやコミュニケーションをとることがマイナスのイメージのままだったからだ。私は、一年生から生徒会の一員として学校行事の運営や校外活動などに携わることが多くなった。また、生徒会にいる先輩や別のクラスの人と話す機会も多くなった。それは、全員出会ったことのない考え方や行動をする人たちで驚いた。しかしそれだけでなく、校外活動に参加したとき、たくさんの刺激を受けた。私が参加した活動は、日田市内で行われ、SDGSをもとにして考える「僕らのみらい会議」・朝倉市の高校生の提言を行うために参加したワークショップ・私学フェスタの中にある生徒会交流会などだ。今挙げた活動は、全て顔も名前も全く知らない県内外の高校生と出された議題を解決したり、それに対して自分たちで話し合うなど、コミュニケーションをとらなければならなかった。「僕らのみらい会議」を行う前何日か集まって話し合うときがあったのだがやはりまだ話すのは大変で、自分から積極的に意見を出すことが出来なかった。しかし、あと二つの活動が「楽しい。」、「もっと多くの高校生同士で話してみたい。」とプラスの感情にしてくれたきっかけだった。どうして人とコミュニケーションををとることがきついと感じていた私が楽しいと思えるようになったのだろうか。
 それは、たくさんの人と話す機会が多くなって、自分の視野をだんだん広げることができたからだ。中学時代は、いつものメンバーで話していたため、新しい発見を得たり、視野を広げたりできる回数が少なかった。しかし、より多くの人と接し、話し、考えることができたことは、私にとって大きな成長となった。またそれだけでなく、自分のこれからを考えるきっかけともなった。これからどのように考え、行動していけばよいのか、人とどのように接すれば自分の言いたいことが伝わるのかという将来に活かせることも多く学べた。
 しかし、人と出会うことは良いことばかりだけではなく、不安に思うこともある。今までのマイナスの感情がまだ少し残っていたり自分の意見を受け入れ、どう思っているのか分かりづらいと思うからだ。その気持ちを少しでも減らすために私は、積極的にいろんな活動に参加し、人と出会う機会を増やしていきたい。校外活動などを自分で見つけることは難しいが、学校内での活動や行事には多くのチャンスがある。また、生徒会の一員となれたことで、参加がしやすくなっていると感じる。だから、与えられたチャンスを無駄にせず、大切にしていきたい。
 高校生になって、中学生のとき、自分が人と話すことが苦手だというマイナスの気持ちを持っていたのを環境のせいにしていたなと気づいた。しかし、自分から進んでいかないと、人と出会うという成長の場が失われるのだ。自分で自分を成長させていく。



「つながり」
                                       大分県立日田高校  H.M
 
 私の朝には余裕がありません。登校時刻ギリギリに家を出て、学校へ走る毎日です。すれ違う地域の方々にあいさつをしながら高校へと急ぎます。私はできるだけ相手よりも先に自分からあいさつをしようと心掛けています。あいさつをして返してもらえると嬉しいです。返してくれる人の中には、「おはよう。いってらっしゃい。」や、暑いねー。気を付けて。」と一言声をかけてくれる方もいます。とても心がほっこりします。そう感じると同時にすごいなと関心もします。私は「ありがとうございます。」や「いってきます。」と返します。もっとうまく返事したいと思いますが、私にはその余裕がありません。あいさつに一言プラスできる人はとても優しい人だと思います。私は全く知らない相手に「いってらっしゃい。」だとか声を掛けることができません。「気をつけてね。」という思いやりをかけることすらできていないと思います。家族でも、友人でもない、名前も知らない何でもない人に、思いやりを持ち、声を掛けるということはとても立派なことだと思います。今は全然何もできていないけど、誰にでもそのような思いやりを持ち、声を掛けることのできる人になりたいです。また、そんな人が増えるといいなと思います。
 あいさつに添えられる一言にはすごい力があると思います。何気ない一言かもしれませんが、言ってもらえるととても嬉しいです。また、より人を身近に感じ、あいさつすることっていいなと思えました。人との距離を縮めることが出来ます。自分の存在を認めてくれます。あいさつの一つでその人を元気づけることもできます。私は自分の登下校を通じてそれらに気づくことが出来ました。
 今、世界はコロナウイルスでたくさんの混乱と悲しみであふれています。人と接することはかなり減りました。会話、コミュニケーションを楽しむこともマスクなしではできません。人とのつながりが少ない今こそ、あいさつや、何気ない一言が大切だと思います。あいさつは誰にでもできることで、誰とでもつながることができます。ちょっとした一言で心は弾みます。コロナ禍で沈んだ気持ちを軽くするには、人とのつながり、会話が必要不可欠であると考えます。
 自分で気づいたこと、コロナ禍に対する考えを基に行動していきたいと思います。人と人とがふれあう機会が、当たり前のようにコロナウイルスによって奪われている今、完全に人同士のつながりがなくなってしまわぬように、自分達にできることでつながっていられるようにしたいです。ネットやSNSでのつながりは無限ですが、トラブルに巻きこまれたり、何より画面上だけでのつながりに心は動かないと思います。自分と関わる全ての人、これから出会う人たちに、思いやりを持って、コミュニケーションをとり、つながっていきたいです。人は一人では生きていけません。一人で思い通りいくことができても、それは一人分です。必ず人生で一人では乗り越えられない壁にぶつかると思います。そんな時に、一緒に乗り越えてくれる人がいてくれれば心強いはずです。今あるつながりを大事に、これからもっとつながりを広げていきたいです。



「災害多発のなかでどのように生きるか」
                                       大分県立日田高校  M.S
 
日田といえば「水郷」である。人々においしい水を届け、生物のすみかとなり、古くから日田を支えてきた美しい河川は時として私たちを脅かす存在となる。大雨が降ると川の流れは勢いを増し増水し氾濫する。
 今から九年前の2012年九州北部豪雨が起こった。当時私は小学三年生で、いつも遊んでいたグラウンドが茶色の水で覆われて恐怖を感じたことを覚えている。そして中学生の頃に花月川が再び氾濫した。友だちの家が浸水し土砂崩れが起こり、豆田の町も甚大な被害を受けた。被害をうけた場所に片づけのボランティアに行った。多くの泥が家の中に入り込み、地面には雨で流れてきたごみや大きな枝などが散らばっていてきれいにするのは簡単ではなかった。大雨による被害を受けたのは家やお店だけではなく人や河川にすむ生き物たちもいる。実際生き物たちはどのような影響をうけているのだろうか。
 私は高校で絶滅危惧種に指定されているタナゴと二枚貝の研究を行っている。豆田町を流れる花月川支流城内川を調査している。調査の結果、昔と比べてタナゴと二枚貝の数が減少していることがわかった。その原因の一つとして大雨で流れこんだ土砂を除去する河川工事で河の水が干上がり二枚貝の生息に必要な水がなくなったからであると考えられる。しかしこの工事は人々の安全を守るためのもので止めることはできない。そこで住民にも川にすむ生きものにも優しい河川工事をすることが必要だと考える。従来の工事よりもコストや時間がかかるが生きものの命を守る上で欠かせない。大雨による災害が多発する日田では、この工事の方法を議論する価値が充分にあると考えている。タナゴと二枚貝の研究を進めていくなかで城内川周辺三十名にお話を聞くという活動をした。ある女性の方が言っていた言葉が印象的でよく覚えている。
「毎年雨が降るたびに今年は氾濫しないでと祈ることしかできない。引っこすにも家があるためどうしようもなく、大雨が降ると恐い。」
と言っていた。
 自然を前にすると、やはり人間の力を小さなものに感じる。私たちは大雨を止めるほどの力はもっておらず、被害が最小限になることを願い雨が止むのを待つことしかできない。そこで被害を最小限におさえるために災害が起こる前の準備が大切であると考える。大雨だけに限らず日本各地で起こる自身や津波も同様である。私は中学生の頃初めて大きな地震を体験した。スマートフォンから大きな警報がなり急いで机の下に隠れたのを覚えている。身体が大きく揺らされ心臓がバクバクして恐怖を感じた。その日から揺れていないのに身体が揺れる感覚を感じることが何度かあり、その度に恐怖を感じていた。
 災害はいつ起こるかわからない。しかし常に恐怖を感じていては毎日を楽しく暮らすことができない。だからこそ万が一に備えて用意をしておくことが大切である。用意をしっかりしておくことで「いつか」に備えられるように。日田の川は美しいが私たちに恐怖を与えることもある。災害が多発する今、準備を整え川とともに寄りそっていかねばならない。また人間だけではない。川にすむ生きものや環境を守っていく責任が私たちにはある。




「誰かの靴を履いてみること」
                                         昭和学園高校  R.N


 今年の夏休みも、新型コロナウイルスが蔓延している中、去年から安易に遠出することもできず、自宅にこもっているばかりだった。そんなとき、母が買ってきてくれた一冊の本を読んだ。その本は『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』という著者ブレイディみかこさん家族のエッセイだ。私はこの本を読み衝撃を受けた。なぜなら、私が想像していた英国とは、かけ離れていた現実があったからだ。
 英国では、労働階級が分かれており、上流階級(アッパークラス)中流階級(ミドルクラス)労働者階級(ワーキングクラス)と分かれているのだそう。私が衝撃を受けた一つ目の点がこの労働者階級が明確に分けられていることだ。この本を読み進めていく内に、英国の階級社会が子どもに与える影響は大きいと知った。
 例えば、親がシングルマザーであり、お金が無く満足に昼食を食べることができず、購買で万引きをしてしまった子どもがいたり、制服を買い直すことができずに小さいサイズを着ていたりする子どもがいることが金銭的格差を表しているだろう。
 著者の息子さんは、金銭的に余裕がない家庭の友人に制服リサイクル活動をしている母に頼み、その友人へサイズのあった制服をあげた。そのとき、友人の「どうして僕にくれるの?」という問いに対し、「友だちだから。君は僕の友だちだからだよ。」と著者の息子さんは答えた。私は、今の自分よりも幼い著者の息子さんに対して、どうしてこんなに相手の立場に立って考え、行動することができるのだろうと感動した。
 それには『エンパシー』が重要なのではないかとこの本を読み進めていく内に実感した。エンパシーとは他人の感情や経験などを理解する能力だ。エンパシーと似ている言葉で『シンパシー』がある。シンパシーは、感情や行為や理解だそうだ。シンパシーとエンパシーの大きな違いは『能力。』この能力がとても大事だと思った。
 シティズンシップ・エデュケーション(政治教育、公民教育)の試験で、著者の息子さんは『エンパシーとは何か。』という問いに対し、『自分で誰かの靴を履いてみること』と書いていた。この言葉は、英語の定型表現であり、他人の立場に立ってみるという意味らしい。この言葉が私の本の印象に強く残っている。
 著者の息子さんが日本に帰省しているときに、『ハーフ』この言葉について話している場面があった。日常に溶け込んでいるこの言葉を私は今まで一度も差別用語だと考えたことは無かった。今、日本ではハーフではなくダブルと言う人が増えているそうだ。「半分っていうのはひどいけど、いきなり2倍にならなくても。ハーフアンドハーフでみんなと同じ1になるでしょ。」この言葉を読んで私は今まで考えもしなかったことだったので正直、驚いた。子どもならではの柔軟な考えでみんなと同じ1になればいいという考えにとても共感した。そして、この言葉でも、相手のことを相手の立場になって考えている、すなわちエンパシー共通してあると思った。
 今、世界には様々な問題があり、それらの問題を解決しようとしている。この本の中から私は、多様化した社会の中で『エンパシー』を身につけることが大切だと学んだ。一人、一人それぞれのアイデンティティを持っている中で、誰かの靴を履いてみることは簡単ではないかもしれないが、小さな積み重ねで大きな問題に立ち向かっていけると私は思う。